鬱なトンボ君のヒトリゴト

鬱病で休職中社会人のぶっちゃけた記録です。

アメリカン スナイパーを見て

この映画を見て思った事を淡々と


映画『アメリカン・スナイパー』予告編 - YouTube

 

この映画を見たきっかけは、ネットでの評価が高かったこと、自分が若干のミリオタであることです。友人と見てきました。

正直見る前は、「アメリカン スナイパー」という題名にチープさを感じていました。

駄作なんじゃないか?アメリカの映画にありがちな、英雄は悪を駆逐するというありきたりな映画ではないのか?との疑問が。

 

結論から言いますと、

この映画は、本当に素晴らしかったです。

 

そして、題名も「アメリカン スナイパー」でぴったりです。

 

ネタばれを避けるために内容の詳細は書きませんが、「国家のために人を殺すということ」の意味を考えさせられます。

 

アメリカという国家は、世界の警察を自称し、各地で戦争に手を出してきました。

アメリカの評価は様々にあると思います。好きになれない部分もあります。

 

「国家」とは何か?

この映画は、今の日本に対して「国家」とは何かを示してくれたのだと思います。

ISIL(自称イスラム国)に、日本人2人が残虐な方法で不法に殺害されました。

日本政府は、テロリストとの金銭交渉をせず、無償解放又は他国捕虜との交換交渉を行っていました。

金銭交渉をしなかったのは、評価に値します。正しいと思います。

でも、なぜ我々は「ミリタリーオプション」が無かったのでしょうか?

つまり、日本が軍事的手段で人質を救出するという選択肢です。

 

国民を守れない、"救わない"国家とは何でしょうか?

国家という共同体に帰属し、税金を払い、その対価として経済的・軍事的保護を受けることが国家体の基本であると私は考えています。

つまり、自国民を保護できない国家は国家ではないと。

第二次世界大戦の教訓で、、、

周辺諸国の感情が、、、

憲法が、、、

もし、殺害された彼らの立場になっても、そう願うのでしょうか?

「きっと、日本政府は我々を見捨てない、どんな手段を使ってでも救い出してくれる」

この政府に対する信頼感や帰属意識が、あるべき国家像なのだと思います。

アメリカという国は、多くの犠牲を払ってでも一人を救い出す国です。

その確固たる姿勢を体現し、犠牲となった「ペイトリオット」が日本にはいるのでしょうか?

また、日本がペイトリオットが現れる価値のある国でしょうか?

母国を救いたい一心、それだけで自らを犠牲にした「アメリカンらしい」スナイパーの映画を見て、母国の現状が心配になりました。

高い税金をもらっている政治家は、国民を経済的・軍事的に保護するシステムを作らなければいけないことを、自覚しているのでしょうか?

 

そう感じさせる映画でした。